北回りで峠越えを決める
朝5時に目がさめる。外を見ると、昨日の午後とはうってかわって、一面厚い雲が空を覆っている。夜の間に雨が降ったのであろう、窓から見える道路は、すべて濡れていた。風も昨日と同じくらい強く、南から北に吹いている。
昨日まで、峠越えに自信がなく、帰りは来た道を引き返すことも考えたが、この風向きを考えれば、どちらに進んでも同じくらい苦労するだろう・・・、ということで、北回り、峠を越えるルートに決める。いつ雨に降られてもいいように、モンベルのカッパ上下を出し、シューズカバーを靴にかけておく。
7時朝食。フェリー出発の時間から逆算すると、7時30分に出発した方がよいと考え、無理を言って、普通より30分早く出してもらった。焼いた魚をメインに、地元で採れたばかりの野菜など。食べたあと、水筒に水をもらい、雨対策を万全にして出発。ちなみに宿代は、2食付き+ジョッキ1杯飲んで8900円也。
神威脇から球島山(たましまやま)まで
屏風立岩(びょうぶたていわ)
外に出ると、風が強いだけでなく、とても冷たい。雨は降っていないが、雨対策のカッパをきてちょうどよいくらい。
走り始めてすぐ、奇妙な形の大きな岩が目に入る。昨日泊まった宿の部屋の名前「屏風立岩」であろう。岩というより、ちょっとした小島に見えるくらい、この島に来てから見た岩に比べ、格段のスケールを誇る。
懸念された山越えはいかに?
最初の3kmほどは、強い追い風に乗って快調に進む。トンネルをすぎると、まもなくひたすら上りになる。最初はよかったが、徐々に勾配がきつくなる。ギアを一番軽くしても、かなり重たい。
スプロケットを標準の8枚から9枚に換えた時、ESCAPEで峠を越えることは全く考慮しておらず、最大25Tにしたことをおもいきり後悔する。時速は、10km/hにもならないことがたびたび。
ただ、救いは強風が基本、追い風だったこと。向かい風だったら、峠越えは断念していたかもしれない。ぜいぜいいいながら登っている時、後からの強風が背中を押してくれるように吹き、一瞬だが加速した時には驚いた・・・ 😮 。
球島山
坂を上り始めてまもなく、道路工事をしていた人に会った以外は、人はもちろん、車にも会わなかった。
孤島に一人取り残されたような孤独感を味わいつつ、途中、何度休んだことかわからないが、とにかく重いペダルをこぎ続け、ほぼ想定通り、午前9時前、球島山展望台の駐車場に到着。
風はここではほとんどなく、歩くのに不便なので、シューズカバーをはずし、カッパズボンを脱いで、50mほどの展望台への階段を登っていく。下は、階段の横にある石碑。
登りきると、再び強烈な風。眺めは、全体に霞がかかったようでイマイチだったが、それでも島を囲む海と、島のおよそ3分の1が俯瞰できるこの場所は、絶景である。天気がよければ、本当にすばらしい景色だろう。下に、この日の景色を掲載しておく。
球島山から宮津弁天へ
北へ向かうはアップダウンの道
球島山駐車場から道道に戻り、しばらくいくと、東海岸へ下りる道と、北へ向かう道に分かれる。ここで海に向かうとフェリーターミナルの近くに出るようだが、ここは予定通り北へ向かう。
最初の分岐を過ぎると、まもなく下りに入る。瞬間61.8km/hの最高時速を出しつつ一気に下るが、すぐまた上り。これを登り切るとまもなく二つ目の分岐。これは宮津方面へ出る道と、賽の河原方面への道。
後者は、ダートの可能性があったので、これは宮津の方へぬける道を選択。ここからは一気に下り、ものの5分くらいで海岸線に出る。
宮津弁天宮
そのあと北上。すぐ宮津弁天宮宮津弁天に到着。9:50。球島山駐車場を出発して30分足らず。球島山までの過程は何だったんだろう、と思うくらいあっけなかった。
天保年間に大量祈願のため鎮祭、左の建物は、大正2年に建てられたものらしい。(案内看板から要約)拝んでこようと思ったが、急な階段を下って上るようなので、やめて先へ進むことにする。
賽の河原
宮津弁天から、フェリーターミナルへ戻るか、稲穂地区へ向かうか迷ったが、ここに来ることもそうそうないだろう、せっかく来たのだから北へ向かうことにする。
追い風にも助けられて、10分ほどで稲穂地区、奥尻島の北端、賽の河原に到着。足をのばしてよかった。早速看板の前で1枚写真を撮る。
ここは、南端青苗地区のように、広い公園になっていて、南西沖地震でなくなった方の慰霊碑が設けられている。
ここで印象的だったのは、下写真のように、河原の石が一面、段積みにされていたこと。これも地震でなくなった方への慰霊の意味があるそうだ。
初めて見る光景に目を奪われながら、一通り回った後、慰霊碑の前で黙祷を捧げ、賽の河原をあとにする。
正直言うと、もう少しゆっくり見て回りたかったが、フェリーの出港時間と、最後は昨日ほどでないにせよ、向かい風との戦いになるはずなので、余裕をみて早々に出発した次第。10時30分少し前だったか。
フェリーターミナルまで
瀬棚行きのフェリー出港は12時45分、12時までには乗船手続きをして、できれば乗船前に、昼ご飯を食べておきたい。
フェリーターミナルまではおそらく15kmもないだろう。風がなければ余裕でフェリーターミナルに着くはずだが、なにせ強風、そして宮津弁天までの上りは、峠越えをした足にはかなりきついだろう・・・・、などと考えつつ、最後はひたすら走るだけ。
西側の海岸と、雰囲気が全然違うのは、民家がまばらながらも点在していて、生活感が感じられることだろうか?そんなことを思いながら、賽の河原を出て20分ほど走ったところで、下の写真の光景に出くわした。
日の丸を付けた軍用機をかたどった大量の風向計?強風にあおられて、プロペラが勢いよく回っている。急いでいるのにもかかわらず、自転車を止めてシャッターをきってしまった。
この辺までくると、民家が建ち並び、フェリーターミナルが近いことを感じる。そして11時ちょっと前、想定していたよりも早くフェリーターミナル入口の到着。とりあえず、目的は達成できた。
と、思った次の瞬間、鍋釣岩を写真に撮っていないことを思い出し、速攻でさらに南に向かう。
さらに、ウニ丸公園まで足をのばすが、坂が急できつく、思いの外時間がかかってしまい、下の建物を写真におさめるだけにとどまってしまった。
フェリーターミナルに戻ったのが11時30分。急いで乗船手続きを済ませ、おみやげを買い、食事をとって、12時20分乗船。下はターミナルの建物。
出港までのあいだ、ウニ丸君がひとりで、見送りをしていたのが、ちょっとさびしく思えたが、船に乗った人たちは、手を振ったり、いれかわり写真を撮ったりと、和やかな雰囲気。
まだ続く (・・・と思ったら続かなかった・・・😓 )
(この記事は旧自宅サーバから転載したものです)